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2004.04.12

整頓の上での混濁

乙女座のことを、最近考えてる。

例えば、私は夢の中でも失敗することを恐れている。
夢という曖昧で混濁の海の中に落ちても
その中でも仕事をして、
自分なりにメモを取り、なんとか整合性を保とうと
必死でもがいて泳いでいる。

目が覚めた時、なんとも苦々しい思いになるのは、
それがいかに無駄な努力かということを
覚醒した私はよく分っているから。

でも無意識の私は泣きべそをかきながら
なんとか失敗しないように、間違わないようにと
必死で踏ん張っているのだ。

どうしてこんなことになってしまったのだろう?

このジレンマは、やはり乙女座冥王星世代特有のもの。

今はまさに、射手座冥王星時代。
世相の空気は、そんな乙女座冥王星世代の
馬鹿馬鹿しさや弱点をこれでもか、
という位に浮き上がらせて、
私を含め、彼らを嘲笑の的にしている。

・・・いや、違う。


誰が嘲笑っているというのだろう?

誰も嘲笑ってなどいない。


私達は、もっと根元の部分から
自分の中の「恐怖」と向き合う必要があるのかも知れない。

いつしか、自分の手足をもがれて
セドナのようにただ復讐だけを考えている私達。

実はその手足をもいでいるのは
自分自身の中の恐怖がそうさせているということを
私達は見なくてはならない。

そして思う。

混濁の海が安心して、混濁をできるのは
そもそも整頓された世界という雛形があるからだ。
もし混濁が、もともとの姿だというなら、
混濁というものは居心地の悪い思いをするに違いない。

私達は確かに、等身大のサラリーマン以上でも以下でもない、
自分の中の荒ぶる衝動に対して呆然としている
猛烈なジレンマを抱えている世代かも知れない。

しかし、究極の整頓をする能力を持ったことを
私達はもっと誇りに思っていいのではないか。

乙女座の弊害も恐怖も乗り越えて、柔軟に射手座の楽天性、
双子座の実用性、魚座の深遠な世界観を手に入れた時、
私たちは本当の意味での乙女座冥王星からの言葉を
聞けるのではないのか。


つくづく思う。
冥王星は、やはり痛みなのだ。
究極の苦痛を乗り越えたあとにしか得られない
貴重な「賢者の石」なのだ。


いや、「賢者の意志」なのだ。

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