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2005.03.02

無為自然

以前、山梨の水晶山に昇り、水晶を拾いにいったことがあります。

ここしばらく続いていたトレジャーストーン・ブームに乗って、水晶山の「ズリ」は、水晶を拾いに来る人で賑わっていました。

ズリとは、以前鉱山として採掘した山の砂を放置したもので、かなり足場の悪い急斜面を、貼り付くように移動して、必死で1センチにも満たない、でも美しい水晶を拾っていました。

夢中になって拾いながら、でも、剥き出しになった山肌を見ていると複雑な気分になってきました。取りに来る人もマナーが悪く、山があれると持ち主の方も怒っていました。このままだと、立ち入り禁止になってしまうかも知れません。

何人かで来ていたのですが、お昼になり御飯を一緒に食べていると、ふと、足元のキラキラした石の固まりを見つけました。

子供の頭ぐらいの大きさのそれは、小さな水晶がびっしりとついていました。おそらくもっと沢山の水晶がついていたのでしょうが、取りに来た人が叩いて取ったか、または急斜面を転がり落ちてきた時に、もげてしまっていたのか、大きなものはすっかり落ちていました。

でも何だか私はそれに愛着が湧いてきました。

時間になり、さあ帰るかという段になって、私はさっきの石をどうしようかと悩んでいました。男性がそれをもって、割ってみようとしましたが、何度落しても割れません。私はあまりにも可哀想になって、やめてくれと頼みました。そのまま持って帰ります、と。

この日、私は後で電車で一人で移動するため、5キロほどあるソレを持って帰ると言った時は、メンバーの皆は笑いました。でも私はそれにめげずに新聞にくるみリュックにつめ、背負ってえっちらおっちら、持って帰りました。

その時、蝶がひらひらと私の周りを舞ったことを憶えています。その時、私は、この石は山からの贈り物だと確信しました。

山をおりる時、電車で移動する時、それはまるでこなきじじいのように、ずんずん重さを増し、何度も放り投げようかとも思いましたが、それでも私はちゃんと持って帰りました。

猪の頭に見えるその荒々しい石は、今も私の部屋に鎮座していて、部屋の外にその厳つい顔を向け、邪悪なるものを退けています。

今日も、どうも自分の境界が甘かったようで、何かついて?きてしまったらしく、部屋に戻ったあと、物凄い勢いで足がつってねじれ、痛くて悲鳴を上げていた時、石は足の裏を乗せろと言ってくれました。

すると、どうでしょう、痛みが一気に引きました。そして、体に貼り付いた何かを、引き剥がしてくれました。

持って帰ってから、ずっとこの部屋で私を守護してくれているこの亥の頭くん。罰当たりなことに、私は彼に何もかまっていなかったのですが、確かに彼は、あの日以来、私をずっと守護してくれていたのだと、改めて認識しました。

本当はこの石は山梨の山の中で、自然の中でただ石として存在していたものを、この東京の部屋まで持って来てしまいました。
それは私のエゴです。間違い無く。

石はただの石で、誰のものでもない。私が死んだ後も、この石は石として存在するのでしょう。その時この石は、また山に戻るのかも知れません。

ただ、人間のエゴであったとしても、こうやって出会ったことは、必然じゃないのかな、という甘いことも私は考えるのです。

人間の価値観など、お構いなしのところで存在する石を見ていると、人間が選んだのではなく、石が選ぶという事は本当じゃ無いのかなあ、と私は思うのです。

無為自然、ただ、あるがままに。


ありがとう、亥の頭くん。

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